易について勉強をするようになり、易聖と言われる高島嘉右衛門について知りたくなりました。
さらには私が横浜に住んでいるんで、タイトルに惹かれました。
目次
主人公は明治の大預言者
易聖 高島嘉右衛門(幼名 清三郎)
高島嘉右衛門は実在の人物です。天保3年(1832)11月3日、江戸京橋三十間堀町で材木商兼請負業を営む薬師寺嘉兵衛の長男として生まれました。大正3年(1914)10月17日、横浜市高島台の自邸ににて没す。
本書は主人公の波乱万丈な人生について書かれた一冊です。
波乱万丈な人生を送った高島嘉右衛門
高島嘉右衛門といえば、易断で知られています。
それは間違ってはないのですが、本書を読むとそれだけではないことがわかります。
もし高島嘉右衛門がいなかったら、今の横浜の発展はなかったかもしれません。
そのくらい国に貢献した方だと感じました。
高島嘉右衛門はいくつかの大きな問題にぶつかり乗り越え、一方多くの偉大なる友人と出会い大成された方だと感じました。
そして、その判断はいつも易の力でした。
最初の大きな問題は南部藩鉱山開発ではないかと感じます。
まだ若年の清三郎は現地に行く決断を父の嘉兵衛に迫られ決断しました。
そして、多くの難題にぶつかりながらも鉱山開発をやってのけました。
清三郎が江戸に変えると遠州屋が多額の負債を抱えています。
ですが、これも周りの人々の協力を得ながら解決しました。
その後の投獄。
投獄されても易の助けを借りながら、出所することができました。
その出所と同時に清三郎から高島嘉右衛門と改名します。
その後は実業家として横浜の発展に尽力を注ぎます。
ここでも易の力を発揮します。
そして、盟友といえる伊藤博文の登場。
どれも歴史では習わないことだけど動乱の明治の中で高島嘉右衛門の活躍がどれだけすごいものだったのかがわかります。
まとめ
本書では主に実業家としての高島嘉右衛門について話された一冊です。
明治という時代を政治家目線ではなく、ひとりの実業家の目線で読めたのが良かったです。
そして、高島嘉右衛門といえば易経です。
高島嘉右衛門がどんなときに易を利用したのか、高島嘉右衛門にとって易がどれだけ生活に根付いていたのかがわかります。
高島嘉右衛門といえば「『占い』は『売らない』」という姿勢だったと聞いています。高島嘉右衛門が占いとどう向き合っていたのか、なぜひとつの商品にしなかったのかもわかると興味深いかなと思いました。