書評

円熟した大人の作り方|今の自分にぴったりの1冊

書店で偶然見かけました。私ももうすぐサブタイトルにある年齢になる年なので、それまでの準備として読んでおこうと思ったものです。帯にも「50代から読む60代の本」とあるので、私にぴったりだと思いました。

本書を読んでほしい方

現在50代くらいの方で今をどう生きれば良いのか迷われている方。
死について考えてしまう60代の方。

著者の紹介

齋藤孝

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。
著書:大人のための読書の全技術
   読書する人だけがたどり着ける場所 (SB新書)
   知的生産力

構成

本書は以下のような構成になっています。

第1章 60代はシフトチェンジする時期
第2章 「身体感覚力」を取り戻す
第3章 上機嫌力
第4章 大人のコミュニケーション力
第5章 添う力
第6章 ずらす力
第7章 読書力
第8章 美意識力
第9章 美意識の巨匠たち
第10章 「孤独力」と「ing」の死生観

要約

2020年から2021年にかけて新型コロナウィルスという世界中の老若男女に共通する死の可能性が出てきました。60代以降になると、これを「集団的不安」とするなら寿命に起因する「個的不安」も受け入れなければならなくなります。このような今までになかった奇異な状態から「新しい生き方」が必要となってきました。その新しい生き方とは「添う力」と「ずらす力」です。らせん運動の如く少しずつずらしつつ、一方で人生の成果を味わいながら生きていく。それが60代だというのが筆者の考え方です。「積極的受動性」と「中庸の精神」を以て平和裡に生きていくための指針を与えてくれる1冊です。

中でも興味深かった3点について、以下に示していきたいと思います。

ポイント1 60歳から考えるシフトチェンジ

円熟とは何か。著者は円熟と成熟は違うとし、以下のように述べています。

成熟とは、技術や能力が上達して熟した状態のこと。
円熟は成熟よりランクがひとつ上で、成熟に「人格」が加わったイメージです。仏教用語でたとえると、円熟は「完成の境地に至った如来」で、成熟は「如来を目指して修行中の菩薩」と言えるでしょう。 p.6

円熟は人格者になるということなのでしょう。そして、以下のようにも述べています。

私は、生涯の中で60代は人間としての最高の円熟期だと考えています。 p.7

では、その最高の円熟期になぜシフトチェンジが必要なのでしょうか。60代になってくると、年齢からくる肉体的な変化、環境面からくる働き方の変化、経済的な変化、社会的地位や役割の変化、家族や友人などとの付き合い方の変化に向き合わなければなりません。その変化を柔軟に受け入れ寄り添いながら、一方で「小変化」を起こしながら生きていく必要がある。その「小変化」のための努力と工夫の方法を筆者は「シフトチェンジ」と読んでいます。

その「シフトチェンジ」は具体的には経済的人間から文化的人間へとシフトチェンジすることを筆者は提唱しています。

現役時代、経済的人間だった頃の私たちは「生産者かつ消費者」でした。
60代では文化的人間として「創造者かつ享受者」にシフトチェンジしませんかという提案です。 p.22

どんな小さなことでもいい何かしら文化的なものを自由に気軽に作り出す「ミニ創造者」であるとともに、気ままに自由に欲張らず一見取るに足らないものでもじっくり味わうことに満足する「ミニ享受者」であろうというのです。そして、「ミニ創造者」兼「ミニ享受者」として世間に貢献していくことで自分の存在感を持とうというのです。

では具体的にどのようなシフトチェンジをすれば良いのか。著者は以下の点を挙げています。

  1. 「贈り物」社会へシフトチェンジ
  2. 「競争」から「遊び」へシフトチェンジ
  3. 「他者評価」から「自己評価」へシフトチェンジ
  4. 「頭脳」から「身体」へシフトチェンジ
  5. 「中庸」へシフトチェンジ

1の「贈り物」は人に対する応援や賞賛、助言(世話焼き、おせっかい)などのことを言っています。2の「遊び」とは、プロセスを大切にしようというものです。3の自己評価はその言葉のとおりです。すでに現役を引退した世代になれば「他者評価」はなくなります。ただ、その「自己評価」の中に存在する他者に注意しています。4の「身体」は身体感覚と自然感覚を取り戻すこととしています。頭脳優先の時代から、改めて身体を優先するのです。5の「中庸」とは、左右の両極端を上空から客観的かつ冷静に俯瞰するような確固たる視点としています。平均値とか中間というものではなく落としどころを探す、ちょうどいい塩梅(塩梅)を見つける役割なのでしょう。それができるようになるのが円熟した大人の役割なのかもしれません。

どれも本書を振り返りながら、じっくりと身につけていきたいと事柄と感じました。

ポイント2 日本人の美意識

著者は、美には絵画や芸術等だけではなく日常生活のどこにでも存在するとしています。バスケットボールの試合で大きく美しい放物線を描いて3ポイントシュートが決まったとき、「かっこいい!」とさけぶのも美意識の表れだとしています。

これは私も感じるところです。私はInstagramを利用していますが、Instagramの写真でもちょっとした風景、どこにでもあるようなものの切り取り方、それだけできれいな写真と感じるときがよくあります。どこにでもある風景やものがどうしたらこのように素敵に感じられるのだろう。そんなことをよく感じることがあります。

日本人は本来、普段のなにげない生活感覚の中に、どんなに小さくても、美を探し出す美意識と美的感覚を持っています p.191

まさにこのような感覚なのかなと思いました。このような一瞬を見てそれを1枚の写真におさめたのが差先ほどのInstagramの写真なのではないかと思っています。そのような景色や風景を私たちは見ています。ですが、それは見えているだけで見ていないのかもしれません。

著者は日本人の美意識についてドナルド・キーン氏の『日本人の美意識』から「暗示」「いびつさ」「簡潔」「ほびやすさ」という4つのカテゴリーを引用しています。どれも本書を読むと「なるほど」と納得させられました。日本の美には庭園や神社仏閣などに見る自然との調和があると思います。それを海外の方の目線からそのように見えるのかもしれません。

ポイント3 筆者の考える「死生観」

60代を迎えるとそろそろ「死」というものを意識する人も出てきます。著者は死について「死生観」としてまとめています。

このままずっと現在進行形の「ing」であり続け、何かに打ち込んでいる途上で、ふと終わりが迎えられればいいなと思っています。
そして死ぬ瞬間は上機嫌で笑いながら、軽くスッと事切れるのが私の理想です。 p.275

これが著者の死生観です。これが著者の死生観です。私も概ね著者の死生観に同意します。何かに打ち込んでいる、この状態を作るにはその準備ができていることが必要と感じました。未練や心残りというものではないのですが「あとにチリ一つ残さない」くらいの心持ちになれる準備はしておきたいと思います。そして「もう大丈夫。これだけに没頭しよう」という気持ちになれること。その状態でいたい。そう感じています。

まとめ

冒頭にも書きましたが、本書は自分にピッタリの話題が書かれた一冊でした。なので、考えさせられることも多く読むのに時間がかかりました。著者は森鴎外がつぶやいた言葉「諦念」を引用しています。

諦念は仏教用語で「道理を悟る心」ということを意味し、また「あきらめ」とは「あきらかに見る」という悟りの境地に通じています。 p.267

私はこの言葉が腑に落ちました。今までのようにブイブイいわせようとするのではなく、世の中の道理を知りながら、風に吹かれるかの如く生きる、そんな生き方ができるといいのかなと感じました。それは決して自分を主張しないことではなく、人と勝ち負けを争ったり議論したりしないところで生きていこうというものです。それが少しでもこれからの人のお役に立てれば。そのような生き方ができれば幸いです。